コラム | 松井薫の「隠居のたわごと」vol.9

松井薫の「隠居のたわごと」vol.9

隠居のたわごと

ガス灯

 御池通りの1本南、姉小路通りを歩いていると、富小路と柳馬場のあいだの南側に、その気になって見ないと見過ごすような、ガスの灯りがついています。この近くに明治42年、京都瓦斯という会社がつくられて、ガスを供給していた、なんてことは知りませんでした。当時は主に、ガスを燃料としてではなく、灯りとして用いていたようで、まちなかの大店の町家や、洋館建ての応接室のシャンデリアなどに、今でもガスのコックが残っている建物があります。その後、昭和20年に大阪ガスに吸収合併され、昭和30年代ぐらいには各家庭にガスコンロが設置されるようになります。それまでのおくどさんの使用がなくなり、燃えカスも灰も始末しなくていいガスに取って代わられると、寒い土間には床が貼られ、他の部屋と同じ高さの床になります。(この時期に、下水道が普及し、トイレが水洗化になった結果、肥桶が土間を通ることもなくなったのも要因の一つですが。)吹き抜けも必要性をそんなに感じなくなり、2階の物置に変化したりするようになってきます。時を同じくして、家で餅つきをすることがなくなり、法事などで親戚一同が集まって家で会食をすることもなくなりました。こうしてガスが普及することで、町家の形も生活も変化してしまいました。その当時、ガスのメーターは家の中につけられていたので、ガスを検針するには家の中に入らなくてはできません。以前はこれが普通でしたが、現在では家の外にガスメーターをつけるのが一般的になっています。私の家も家の中にガスメーターがあるので、検針にくる人は、昔式に(カギはあいているので)いきなり入ってきてガスメーターを検針します。ピンポンとなったらカギを開けて、というのが普通になっているご時世で、昔ながらの、このいきなり入ってくるというのが、ちょっと嬉しいのです。私はヘンタイでしょうか。(2020.10.20 松井薫)