コラム | 松井薫の「隠居のたわごと」vol.19

松井薫の「隠居のたわごと」vol.19

隠居のたわごと

時が重なる

 ゼネコンの現場監督をしていた時、京都のまちなかで基礎工事のために地面を掘削していました。1.5mほど掘り進んだところで、人骨がゴロゴロ出てきました。調べてもらうと、1000年ほど前、平安中期のお墓のあとだったことがわかりました。1.5m掘ると、1000年さかのぼることができる、なんか不思議な気がしました。また、別の時に御所の西側で木造建物を解体して、地面を整地するとき、深さ30㎝程度のところに、黒く薄い炭の層が出てきました。蛤御門の変で焼けた跡だ、ということでした。200年余り前にあった事件の、教科書でしか知らないことが本当にあったのだという証拠が、目の前にありました。どうも、京都は15㎝掘ると、100年、30㎝で200年さかのぼるようです。その計算で行くと、1年で1.5㎜ずつ土の上に時が積み重なっているということになります。

 京都でいえば伏見街道など、江戸時代からある古い街道筋で、建物が道路の高さより沈んで見えるところがあります。家の中に入ると、奥の庭も家の基礎の高さよりも盛り上がって、家のほうが沈んで見えます。これも、道路や庭に時が重なった結果、家の周りのほうが高くなってしまった、ということなのだろうと思います。雨に含まれている砂や土が地面に落ちて、雨の水は下にしみ込んで、表面には砂や土の微粒子が残るということでしょうか。

 現在は、道路はアスファルト舗装されて、雨は下水管に流れます。雨水に含まれている土の微粒子は下水管の中にたまることになります。現在では時の重なりは下水管の中にあるわけで、表面には出てきません。ちょっと前の歌に、「この道は~いつか来た道~」というのがありました。これも「この道」が土の道だったので、そこに時の重なりがあって、昔を懐かしむ気持ちが表れているのでしょう。現代で道を歌った歌が思い当たらないのも、道路に時の重なりがなくなったからかもしれません。思いつくのはせいぜい、ユーミンの「中央フリーウエイ」あたりになりますが、情緒は全然違います。かといって「下水管の歌」ができるとも思えないし、もしできてもそれに郷愁を感じることもありません。

 結局、時の重なりを身近に感じられるのは、町家の柱であったり土壁ぐらいしか残っていない気がします。(2021.8.21)