コラム | 松井薫の「隠居のたわごと」vol.54
松井薫の「隠居のたわごと」vol.54
ネズミを飼う
といっても江戸時代の話。その頃よりも古くから家にある食料をかじったりするネズミは駆除の対象ではあったのだが、一方で、いわゆるネズミ算式に増えるので、それが子孫繁栄、商売繁盛のシルシとして大事にされている面もあった。また家に住む白ネズミは富貴をもたらすとして珍重された。物を食べるしぐさなど、よくみるとかわいい側面もあり、18世紀中ごろから、京都、大坂など上方を中心にして白鼠の飼育が盛んになったらしい。今のように遺伝子操作ができるわけでもなく、当時の人が遺伝子の存在を知っていたわけでもないので、自然交配によって、突然変異として、まだらやツキノワグマのような模様ができたりすると、珍重して高値で取引されたりした。またネズミを飼いならすことも試みられていたようで「目があかない幼いころから養い、ともに遊んで人に慣れさせなければ手なずけるのはむずかしい。」「よく養うことができたら、ネズミは人の言うことをわきまえ、こちらの気持ちを汲んで使いをするようなこともできる」(養鼠玉のかけはし:春木幸次、1775年)とあり、実際に子供たちがネズミを飼ってペットとしていたことは間違いないようだ。
今も、町家に住む人間にとってはネズミはいなくなってほしい小動物の代表だが、私の家でも庭で小さな丸い草の実をかじっているところを目撃した時には、「ネズミも案外かわいらしいな」と実感した。ネズミが嫌われる原因の一つとして、人々の「思い込み」もあるのではないか。同じネズミの仲間でもカピバラは「かわいい」と女性陣からも人気の動物だし、これはネズミはダメという感覚とは矛盾することになる。世間が嫌いと言っているから嫌いで、世間がかわいいといっていればかわいいのだ。一度嫌いと刷り込まれると、見た瞬間に反射的に拒否する感情が起こるのだろう。これがなにかのきっかけで、「反射的な拒否」がはずれて、まじまじと見るようになると、細かな動きの違いや、個体のそれぞれの特徴などが見えてきて、あれとこれは違う=分けられる=わかる、となり、そのものへの理解が進んでいく。
町家に対しても「古臭い、暗い、住みにくい」などの刷り込みがあり、町家はこの世に存在する価値ナシ、と拒否されている(国の判断はまさしくそう)側面があるが、これが何かのきっかけで、町家といってもいろいろなものがあって、それぞれの歴史的、文化的背景が見えてくると、その良さが「わかる」ようになってくるのではないか。その負の刷り込みのタガを外すのが我々の大きな役割だろう。(2024.10.19)
