コラム | 松井薫の「隠居のたわごと」vol.65

松井薫の「隠居のたわごと」vol.65

隠居のたわごと

江戸時代のヘアースタイル

「都名所図会」という本がある。1780年に出版された、京都の寺社などの観光案内のような本だが、そこに西陣の機織りをしている図がある。これを見ると機織りをしている職人はを剃ってちょんまげをしたスタイルになっている。時代劇でおなじみの姿だが、武士だけでなく、一般の町民もこの姿なのには改めて驚いた。しかも京都のまちなかの普通の人々である。250年前はこんなヘアースタイルの人間が町家の中で生活をしていた。月代というのは額から頭の上の部分の髪を剃ってしまった形で、もともとは武士が戦の時、兜をかぶると頭が蒸れるので始まったようだ。それが江戸時代になり町民にまでこのスタイルが広まった。私もゼネコンの監督をしていた時代、毎日ヘルメットをかぶっての現場作業だったから、あたまが蒸れるのはよくわかる。あの時期、ずっとヘルメットをかぶっていたから、今、私の髪がさみしくなっている、という気もする。剃り上げた部分の周りの髪をまとめて、後ろでひとくくりにして、それを折り返したのがだが、これも専門的にはいろいろな種類があって、ここに描かれているようなのは小というらしい。(今でも力士は大銀杏を結っている)いずれにせよ、これは人の手を借りないとできないヘアースタイルなので、頻繁に髪結い床へいくことになる。当時、京都の町中には街区のブロックの端に、街区の戸を開け閉めする役割の人がいて、そこが髪結い床にもなっていた。成人になって元服すると月代を剃って髷を結ってもらう。放っておけばひげが伸びるのと同じように、月代も髪が伸びてくる。みながしょっちゅう剃ってもらったり髷を結いなおしてもらったりしているので、髪結い床は自然と情報交換の場になっていったのだろう。今でいうLINEの役割を果たしていたと思うと、なんだか江戸時代の生活がぐっと身近に感じられる。

(2025.10.19)