コラム | 松井薫の「隠居のたわごと」vol.64
松井薫の「隠居のたわごと」vol.64
短歌と俳句
日本語の短い定型詩の表現に、短歌と俳句がある。五、七、五、七、七の三十一文字の短歌と、五、七、五の十七文字の俳句。どちらも味わい深いが、短歌のほうは「凝縮された短編小説」の味わいに対して、俳句のほうは「風景が奏でる和音の響き」を楽しむような違いがあるように思える。現代の例で比較すると、俵万智さんの衝撃的な一首 「この味がいいね」と君が言ったから七月六日はサラダ記念日はそこに出てくる人物やその時の二人の心の動きなど、ある時間を経過する間の出来事が浮かんでくる。これに対してほらごらん猛暑日なんかつくるからという、今年の夏は何度つぶやいたかわからない俳句は、初めの五文字に「ら」の音が連なっていて、ほ「ら」ご「らん」という響きが、真夏のカンカン照りの太陽の光や熱を思い描かせる響きになっている。
町家はどちらかというと俳句なんだろうなあ、と思う。玄関、座敷、廊下、縁側、それぞれの場所にはそれぞれの美しい響きがあり、それらの響きの中を、行ったり来たりして生活が行われている。それぞれが外とつながっていて、外の響きと呼応して和音を奏でている。玄関は格子戸越しの外と、座敷は障子やガラス戸越しの外と、縁側は家の中の和音と外部の響きを重ね合わせて響きを聞かせている。それらの間をつなぐのが廊下。そこに住む人はそれらの和音の響きの中を行ったり来たりしながら、響きの微妙な違いを楽しんでいる。一方、現代住宅はそれを設計する段階から、生活のストーリーを設定して寝室、ダイニング、リビング等を作る傾向にあり、その中の生活もそれぞれをつなぐストーリーとして毎日営まれている感じがする。特徴的なのは外部空間もストーリーの要素として組み込まれてしまうことだろう。外部は駐車スペースだったり、物置だったりと、ストーリーをつくる要素の一つとしてとらえられている。町家が感性に訴えるのに対して、現代住宅は理性で納得させる、とでもいえるだろうか。論理を積み重ねて納得させる空間より、軽々と感性に遊ぶ空間のほうがなんだかいいなあ、と思ってしまう。
(2025.9.19)
