コラム | 松井薫の「隠居のたわごと」vol.47

松井薫の「隠居のたわごと」vol.47

隠居のたわごと

火を扱う

 家の中で、炎の出ている火を扱うことがなくなった。今の小さい子供たちは、火を扱う経験をしないで大きくなっている。少なくとも30年前までは、まちなかでも焚火をしていたし、建築現場でも寒い朝、ドラム缶に火を熾して温まっていた。それが、火事になるもとでもあり、近隣からの煙、においの苦情や、ダイオキシンが発生するという理由で、まちなかでは原則焚火が禁止された。それと同時に家の中で使われていた炎のでるものは、町家のおくどさんをはじめ、仏壇の燈明やろうそくに至るまで、使うことがためらわれるようになり、電気やガスの調理器具、電気のあかりにとってかわられた。

 人間は狩猟採集時代の70万年前には火を使っていたと考えられている。火を使って調理をし、暖をとり、けものを追い払った。そして炎の周りには人が集まっていた。70万年という長さから比べると、最近の30年なんて0.00005%にすぎない。長い長い間、火を扱ってきた歴史をつい最近、プツっと切ってしまった。火を扱うことは他の動物とは違う、人間だけが使える技術のはずだ。長い間にその危険性も十分にわかり、危険の回避の知恵もあったのに、あっさりと捨ててしまった。それで安全になったかというと、それでも、毎日のように火事があり、人が亡くなっている。何も今更、焚火やおくどさんを使わなくても、安全で調節しやすい電気の調理器具がいっぱいあるじゃないか、と言われそうだが、手間のかかる、そしてついていないと危険な炎には、ものすごく長い年月、共に過ごしてきた人類の記憶の蓄積がある。揺らぐ炎をじっと見ている時間のなんと豊かなことか。

 そこでこっそり家の中で炎を味わえる装置を何とか取り入れたい。町家の改修の際には、できることならおくどさんの復活を試み(使うと近所から文句が出たり、消防署に通報されたりすることがあるが)、可能なところでは薪ストーブを入れたり、ペレットストーブを設置したりしてきた。私自身は家の中にそういう装置を置けるほどの大きさのない家なので、ロケットストーブを自作したりして小さな満足感を味わっていたが、今回、ちょっと面白いものが手に入った。キャンプストーブの小さなものだが、炎の熱で発電ができる!中にファンがついており、燃焼時に煙の発生が少ない。この装置でも焚火のできるところでしか使えないので、大っぴらにはキャンプ場などへもっていって使うしかないが、これをこっそり家の庭で使って、湯を沸かしたり、昆布の出汁をとったりして、ささやかな抵抗を試みている。

(2024.3.19)