コラム | 松井薫の「隠居のたわごと」vol.48

松井薫の「隠居のたわごと」vol.48

隠居のたわごと

町内会が危ない

 京町家情報センターを通じて、新しく町家の住人になる人には「町内会に入ってください」「町内の行事にもできるだけ参加するようにお願いします」と声をかけて住人になってもらっていた。そして新しい町内で、積極的に役員を引き受けたり、町内の行事に参加したりしているということを聞いていた。しかし、最近は町内会の役員を引き受けてくれる人がなかなかいなかったり、そもそも町内会に入らない人も結構出てきているようだ。このままでは町内会の役割も終わってしまうのではないかと思わされる。新しく町内に入ってきた若い人にとっては、町内会費を払わされるし、防災訓練や何やで時間をとられるし、だからと言ってメリットも感じられない。困りごとがあれば行政の窓口に言えば済むし、人のつながりもSNSなどで十分だし、子供のつながりがある家や、祭りがある町内でない限り、町内会は無視していいんじゃないか、となってしまう。

 日本列島は自然災害の多い場所だ。地震は記憶に新しいし、台風などの水害も起こる。そのたびに電気、水道、ガスなどの供給網が寸断され、情報のやり取りもできなくなって、右往左往することになる。一旦この状態になると、一挙に原始生活に戻ることになる。その時になって初めて「ご近所さんの付き合いが大切だ」となる。だが、今日の状態が明日も続くものだと思ってしまうのが人間だ。災害に備えよ、といってもなかなか難しい。子どもたちも少なくなってきて、子供同士のつながりも今後期待薄だ。その代わり一人で住む年寄りが増えてくる。これからは、町内で相互にそれとなく年寄りが変わらず暮らしているかを見守るようになれば、一人で何とか自分のことぐらいは自分でしている、私のような一人暮らしの隠居には大きな安心材料になる。町内の役割としてこれは大きいと思われる。人類が農業を始める前の長い長い期間、我々の祖先は狩猟採集生活をしていた。その時、最大で150人ぐらいの塊で生活をしていたらしい。人間にとって仲間、知り合いは150人が限度といわれている。そこで、150人を意識して、少ない構成員になった町内は合同で町内会を作り、顔を合わせれば挨拶ぐらいはできるように、顔を見なければどうしているんだろう、と思えるようなつながりができることを目指すのも、必要かと思われる。その中で、現役を引退して比較的時間も体力もある年代が、若い人を巻き込みながら町内会をやっていく、というような方向が考えられるのだが。(2023.4.19)