コラム | 松井薫の「隠居のたわごと」vol.45

松井薫の「隠居のたわごと」vol.45

隠居のたわごと

正月飾り

 年が明けて、初詣などで近くの道を歩いていると、それぞれの家の玄関戸に正月飾りがつけられている。正月飾りは歳神様を家にお迎えして、1年の無事を託す時のシルシになるものだ。私の住んでいるあたりでは、しめ縄飾りが一般的だが、よく観察してみると、戦前からある古い家にはまず間違いなく正月飾りがされているが、最近建てられた新しい家にはほとんど飾りはされていない。最近建てられたものでも、伝統的な家に倣って玄関の柱や梁が木をそのまま見せているような家では、正月飾りをしている。通りを歩いていて、だんだんとそのわけが分かってきた。最近の家の玄関戸や玄関ドアはアルミサッシなのだ。これが大きな原因のようだ。軒下の適当なところに飾りを取り付けようとすれば、小さな釘やL型金物を取り付けてそれに飾りを括り付けることになる。これが、従来の木造の様式であれば、簡単につけることができるが、アルミサッシで壁はモルタル塗りで仕上げられていたりすると、小さな釘を打つにしても、L型金物を取り付けるにしても、簡単にはいかない。そこで正月飾りなんてしなくてもいいや、となるのだろう。長い間、民間の風習として、目に見えない歳神様を敬意をもってお迎えする、ということをしてきたのが、アルミサッシによって遮られてしまったのだ。きっと住宅メーカーの作る家では、正月に玄関飾りをする、ということは全く無視されているのだろう。そういえば年越しの除夜の鐘の音がうるさいと警察にクレームが来て、とうとう除夜の鐘を突くのをやめてしまった、という話も聞く。

人々の気持ちの変化や、受け入れる感覚の変化で、長い間親しまれてきた行事や作法がないがしろにされてなくなるのは、非常にかなしい。それにもまして、家の構成を考えるプロたちの頭の中から、こういった些細だけれど大切なことが見落とされてなくなっていくのは、もっとつらい。目に見えて効果のある断熱や気密性は評価がされるが、それによって抜けていくもの―長い間培ってきた周りの自然との共存や、目に見えない「何か」に対する畏敬の念―が示しているのは、自然環境や思いを実現することなどが全部、自分たち人間が自由にコントロールできるんだという人間側の思い上がりだといってもいい。

 今年の正月は、能登半島の大きな地震でスタートした。これは人間の力の及ばないものがあることを如実に示している。やはり自分たちの世代で生み出したものに過大な評価を与えるのではなく、自分たちが生まれる以前からある「もの」や「こと」にいつも目を向けて、それが何を意味するのかを懸命に考え、継続していくことが大切なのだ。(2024.1.19)