コラム | 松井薫の「隠居のたわごと」vol.56

松井薫の「隠居のたわごと」vol.56

隠居のたわごと

肥後(ひごの)(かみ)

 もうあんまり使われなくなってしまったが、少し前まではどこの家にも肥後守(折り畳み式の小刀:発売当初の主な取引先が熊本地方だった)があり、重宝に使われていた。私が小学校に行くようになると、夕食の後、毎晩父が次の日に持っていく鉛筆を、肥後守できれいに削ってとがらせてくれていた。その鉛筆をもってワクワクしながら学校に行っていた。肥後守は秋にはクリの皮むきや、柿の皮むきに使われ、ちょっとした木工細工にも使われていた。鉛筆削りは肥後守から鉛筆を突っ込んでハンドルを回すものが出てきて、さらに電動で鉛筆を突っ込めば自動的にきれいに削ってくれるようになる。そして現在ではシャープペンシルが主流になり、鉛筆を削ることも少なくなってきて、肥後守はとっくに忘れ去られてしまった。それと共に肥後守を自在に使う能力も失われたしまった気がする。いまでは「切る」ことだけに特化しても、さまざまな目的に応じてうまく切れるカッターナイフが数多くできている。それでも記憶の中では父が削ってくれた鉛筆の美しい形と、自分で削れるようになった時の満足感がしっかりと定着している。

 今は一つの目的に対応して、一つの道具ができているので、いろいろなものを自作したい人のまわりには道具がいっぱい置かれることになる。また、100均などでちょっと便利な道具が手軽に手に入るものだから、家の中はそういう便利グッズであふれてしまう。以前は少ない道具をうまく使いこなすスキルが要求されたが、いまは道具の選択さえ誤らなければスキルはそんなになくてもうまくいくようにできている。それと引き換えに、道具を使いこなす能力は失われてしまう。町家の生活は、少ない道具派で、台所用具も基本的なものが一通りそろっていれば、あとはどう使いこなすかにかかっている。部屋についてもその都度しつらいをして、必要な目的に合わせて部屋を使いこなす技量が求められる。町家の内部空間が簡素で美しくいられる一つの理由は、さまざまな用途に空間を使い分ける住み手の技量があるからだ。同じ6畳の空間が食事の場になったり、寝室になったり、あるいは年中行事の場になったり、冠婚葬祭にかかわる儀式の場になったりする。すべての要求に完璧にこたえられるわけではないが、基本があって、8割がた要求に答える空間で、不足の2割をその都度、知恵を絞ってしつらえることによって、スムーズに行事もこなせるようにできている。こうして町家は、建物だけではなくその住み方と一緒に次の世代に継続していく必要がある。(2025.1.19)