コラム | 松井薫の「隠居のたわごと」vol.23

松井薫の「隠居のたわごと」vol.23

隠居のたわごと

役に立たない縁側・床の間

 年を重ねていくと社会の速い流れについていけなくて、新しい社会の仕組みも受けいれられなくて、古いままの習慣を固持して、これでいいんだ、と開き直るようになってきます。スマホなんて必要ない、予定も手帳に書くのが一番、支払いは現金を手渡しでないと気が済まない、などの症状が現れると、もはや世間では「あいつは役に立たない」「仕事をするのに邪魔」「世間のゴミ」との烙印を押されます。確かに役には立たないようには見えるのですが、人間ってそんなに合理的な世界だけに生きているのではありません。

 現代の建売住宅やマンションの平面図を見ていると、和室と書かれている部屋に床の間がありません。それに付随して縁側もありません。その続きに庭がありません。そんなものは、つくっても役に立たないからと、床の間の代わりに物置、庭の代わりにガレージと書かれています。和室自体も「タタミルーム」とカタカナで書かれたりして、無用の長物扱いです。そして20畳のリビングとか6畳のキッチンとか(大きさをいうのに畳の数でいうのもおかしいですが)やたらと大きい部屋があって、しかもそれぞれの部屋に何をする場所か名前がついています。これが合理的で役に立つ空間を連ねた現代住宅なのです。

 700年前に兼好法師が「造作は、用なき所をつくりたる、見るも面白く、万の用にも立ちてよしとぞ、人の定めあひ侍りし。」(第五十五段)と指摘したように、なんの役にも立たないような空間が、実は役に立つのです。役に立たない人間が、なんの役にも立たない時間を過ごすのに、決まった役割を与えられた部屋で、合理的に整えられた家具に囲まれていて、何がおもしろいか、人間は本来そんなもんではないでしょう、と兼好法師は言っているのです。そうなんです。狭い空間に一見ムダと思える床の間があること、縁側がある事、土間があること、これが完璧に合理的になりえない人間に、一番フィットする空間なのです。

(2021.12.20)