コラム | 松井薫の「隠居のたわごと」vol.53
松井薫の「隠居のたわごと」vol.53
お地蔵さん
町家の改修設計を仕事にしているので、いわゆる「現場」は京都市内のあちこちででてくる。そこへ行くルートも(地下鉄・バス+徒歩移動なので)さまざまなルートがある。初めはわかりやすい大きな道をたどって現場へ行くのだが、場所が分かってしまうと、すぐに別の道を通って行きたくなる。地図で行けそうな道筋を選んでは、いろいろな道を通って現場に行くようになる。特に、両手を広げたら両側の建物に触れそうな道幅の路地とか、自転車も通れないような細い抜け道などを発見した時は、「やった!」感がある。時には通り抜けられなくて、そのまま戻ったり、時には、住人に「何しに来た?」と不審者扱いをされることもあるが。まったく京都の道はミステリアスでドラマチックだ。
そして、道の至る所にあるのがお地蔵さん。お寺も多い。住宅街の並びにちょっと違った門構えがあって、よく見るとお寺だったりする。さらに、ところどころに自分の生まれたときよりもっと前からずっとある、大きな木が目についたりする。そういったところに来るとふっと気持ちが一瞬静止する。無になる。こんな風に道を歩くようになったのは、会社つとめをやめ、自分で自分の生活を構成するようになってからだ。それまでは、いつも時間に追われた生活で、道を歩くときも、効率よくできるだけ短い時間で通り過ぎることしか頭になかった。お地蔵さんもお寺も、大きな木も見ているはずなのに何も覚えていない。せいぜい直線で進んで、次に曲がる角の景色を覚えている程度だった。今は、歩いているとお地蔵さんなどは、ここにもある、あそこにもある、と見えている。しかもそれぞれのお地蔵さんはきれいに掃除されており、生花がいけてある。近くに住むどなたかがお世話をされているのだろう。そして今でも京都のあちこちで、8月の終わりには地蔵盆の催しがある。
またお祀りしてある祠にもいろいろな形があり、小さな建築物として見るのも興味がある。小さいながら立派な飾り金物がつけられている本格的なもの、簡素ながら白木のさっぱりしているもの、異国風の装飾に彩られているもの、石を使っているもの、洗い出しの仕上げのもの、屋根も見事な曲線で銅板で葺かれているもの、三角の屋根がちょこんと乗っているもの・・・。気がついたらあちこちにあり、自分がこの世に出てくる前からあって、地域の共通の「たいせつなもの」として今も存在し続けている。それらが今も残っている町家と相まって、京都の街並みに奥行きと落ち着きをもたらしてくれる。(2024.9.23)
