コラム | 松井薫の「隠居のたわごと」vol.21

松井薫の「隠居のたわごと」vol.21

隠居のたわごと

密を避ける

 やっと新型コロナ蔓延が下火になって、少しずつ日常が戻ってきています。人と人の距離は2m以上あけて、とか対面している場合にはアクリル板越しに会話せよとかからやっと解放されつつあります。アクリル板越しの会話では、何かわかりにくい感じがあるし、2m離れている隣の人とは、話をする気にもなれません。この状況は、もういやというほど味わいました。道具を使わないで人間が話をするのには、自然な距離があり、離れすぎても聞こえにくいし、近づきすぎてもうっとうしいわけで、普通は意識しないでも自然な距離感で会話しているわけです。

 家の内部と外部の距離感も、ある程度の空間があって離れているのが、人間が自然に感じられる距離になっています。1日の間にも夜が明けて朝になり、昼の明るさから、やがてたそがれになって夜の暗さになるように、2つの世界をつなぐような、変化して移っていく、あいまいでゆるやかだけど、ゆっくりと何か満たされていくような時間があります。家の中の内と外の間にも、同じように内でも外でもない空間として、縁側とか、軒先、玄関、窓際、天井裏、床下などがあるのです。町家にはそれらがちゃんとあって、外の変化を緩やかに受け入れ、内部の汚れを外にだして、常に心地よい空気で満たしています。現代住宅では、内外の境目の厚みを出来るだけなくして、縁側も軒先も、天井裏も床下も内部空間に取り込んで、家の内部を家の輪郭いっぱいまでパンパンに満たしてしまっています。その結果、中での生活は、目が覚めたら朝になっていて、気がついたら外は真っ暗、推移する間の時間をなくして、忙しく時に追われることになります。そして、ゆっくりと明けていく空を見たり、夕日が沈んで星が輝きだすのを見たりするような、遠くに視線をやることがなくなっているようです。こういう家の作りが、忙しい毎日を作っているようにも思えてきます。

 町家に住んでいると、雨の音が聞こえたり、冬の朝の寒さに目が覚めたり、常に外の状態に影響を受けるので、外を見ることが多くなり、時の移り変わり、季節の移り変わりにも敏感になります。そして、ふと空を見上げる時の、何にもしていない時の流れの中に、なんとも言えない充実した気持ちが味わえるのです。(2021.10.20)