コラム | 松井薫の「隠居のたわごと」vol.75
松井薫の「隠居のたわごと」vol.75
五山の送り火
8月16日の夜、京都を囲む山々に、お盆で戻っていた精霊を送り返す火が燃やされる。とても古い時代からの伝統行事だ。今年も酷暑の夏と大雨による火床の流出、担い手の高齢化、資金確保など幾多の問題をかかえながら、大文字、妙法、船形、左大文字、鳥居型の5つの火が見事に灯った。大勢の人がそれを眺め、先祖に思いをいたす人、今、生きている不思議を感じる人もたくさんいた。この行事が始まった時の、宇宙的な視点からの発想は全く不思議だ。天空からしかこんな大胆な企画は思いつかない気がする。しかも同じ日の同じ時間帯に5つの山で火をともす準備や、当日のスタートの合図はどうしていたのだろう。トランシーバーもスマホもない時代。それが連綿と続いていて、いまだに炎を燃やしている。LEDの照明の時代に、古代の炎で表現するしか伝わらないものがある。以前は町のあちこちでも炎が見られた。道路でも焚火をしていたり、田んぼでも藁を燃やしていたり。家の中でも、おくどさんに薪をくべたり、炭の火で暖を取ったり。もっと時代が進んでもガスの炎で調理したり。それが、現在では、どんどん見られなくなってきている。外での焚火は禁止され、家の中の毎日の調理にも、IHのコンロ、電子レンジでの調理が主流になって、人々が火を使わなくなってきた。人間は進化の過程で、火を使うことを覚え、他の動物と比べて圧倒的優位に立つことができて、繫栄してきた。炎の中に人間や動物の魂を感じ、炎をともすことに神聖なものを感じ、自然とともにあり、自然から恵みを受けていることに感謝の気持ちを持っていた。現代の、炎をできるだけ使わない生活は、火事になる危険性を減らすことはできるかもしれないが、IHコンロや電子レンジでは、自然から受ける恵みに感謝する気持ちは起こらない。それによって、人間が傲慢になり、現在の40℃を超える酷暑、線状降水帯の発生による記録的な大雨などの気候の凶暴化にさらされているのではないか(そんなことはないのだが)、と想像してしまう。大文字の炎を見ていて、そんなことを思った。
(2026.8.19)
