コラム | 松井薫の「隠居のたわごと」vol.77
松井薫の「隠居のたわごと」vol.77
違いの分かる・・・
少し古い話になるが、80年代に「違いの分かる男の・・・」というインスタントコーヒーのCMがよく流れていた。この違いの「分かる」というのは、わかる、すなわち分けられる、ということで、ほかのものとは味が一段と良くなっている、という意味とともに思慮深い大人の雰囲気が印象的だった。思えば昭和30年から日本住宅公団により、大量のコンクリート建ての団地が作られるようになる。そのプランは「寝食分離」という新しい理論を取り入れたもので、キッチン(ダイニングキッチン)と寝室を分けるというものだった。そして各戸に風呂場と水洗トイレが備え付けられた、時代の最先端のもので、皆のあこがれの住宅だった。住宅の機能を分け、それぞれが機械の部品のように取替可能なものと考えることが機能的な住宅である、というわけだ。それまでの家は、食卓を出せば食事の場、食事が終われば食卓を片付けて寝室に。またお客さんが来れば接客の場になり、家の重要な行事(冠婚葬祭)の場所にもなる、というものだった。そんな生活を一変させたのが「寝食分離」の公団住宅だった。
しかし、この時に古くからある家の、建物も生活の仕方も切り捨てられてしまった。その結果、現在では住宅といえば、子供も含めて各自が個室を持ち、最先端の設備を誇るキッチンやバスルーム、トイレを装備した「カタログ住宅」になってしまった。そこには接客の場はなく、同じ家に住むそれぞれが、起きる時間も寝る時間もバラバラ、食事をするのも食べる時間もバラバラで、「自分中心にしたいことをする」がたまたま同じ家に住んでいるに過ぎない、という状態だ。接客の場がなく、他人の目が定期的に家の中に入らないことで、住宅は各自の個室がそれぞれの好みのものの集積場と化してしまった。分けることで空間の機能がはっきりし、わかりやすいと取り入れてきた結果、こうなってしまった。
やはり、人間は機械のように取替可能な部品の集積ではないのだ。時間の経過とともにどんどん変化していき、何を良いとするか、の価値基準も次々と変わってくる。コンパクトな空間を多用途に使い分けながら、その時々の自分に合わせてアレンジする柔軟性は、古臭いと思われている町家のほうが優秀だ。
(2026.10.19)
