コラム | 松井薫の「隠居のたわごと」vol.26

松井薫の「隠居のたわごと」vol.26

隠居のたわごと

内と外のあいだ

 町家の空間には、内でもなく外でもない、あいまいな空間がけっこう多くある。代表的なのが縁側。内からアプローチできるが、環境としては外の空間に属している。社会的な面で見ると、玄関もこの仲間。家の中の一部分だけれど、外との接触の場である。格子越しに見る前の道路も、内と外の混在が見られる。精神的な部分では神棚や仏壇、床の間、吹き抜けの走りにわなど、家の中なのに上に意識が向かうところがあちこちにある。

こうしたところは、古くは「出そうなところ」だった。怨念をこの世に残した幽霊や、妖怪、異界の者たちが、この内と外の間を舞台に活躍する話は、いくらでもある。こういう場所は、日常と非日常の世界のいわば「異文化交流」が行われていたことになる。町家に住む人たちは、こういった(たぐい)のものの存在を認めざるを得なかったものと思われる。おそれを持ちながら、これは何なんだろう、自分たちに不利益をもたらすものではないのだろうか、と関心を持っていた。その頃はそういう存在を認めざるを得なかった。人間が御しがたい何者かがいて、それとも付き合わざるを得ない(?)生活だったわけだ。その日常が、実は今でいう、生物多様性を認める、自分たち以外のよくわからないものも容認するという精神をはぐくんできたように思える。

 現代の生活では、自分に不利益をもたらすものはもちろん、気に入らないものもすべて排除しようとしている。町家暮らしでよく問題になる、小さな虫や小動物が入らないようにと排除したがるし、目に見えない細菌やウイルスにも異常に反応する。においも無臭が好まれ、庭との自然の交流も少ない。これは内と外の境目に空間を設けることをやめ、境目をどんどん薄く、壁一枚、シート一枚で断絶することができるようになったことと関係しているのではないか。その結果、口では生物多様性が大切、社会の様々な人をすべて包み込むような生活を目指すべきだ、と言われているが、依然として何かを排除しようとする根は深い。今こそ、町家のあいまいな内と外の間を、生活に取り入れるべきだろう。(2022.3.20)