コラム | 松井薫の「隠居のたわごと」vol.36

松井薫の「隠居のたわごと」vol.36

隠居のたわごと

背割り

 町家の改修をしていると、柱が上から下まで割れているようになっているものがある。お施主さんが気が付いて、この柱割れてますよ、などと言われることがある。これは割れているのではなく、わざと割ってあるのだ。現在は生活する環境がほぼ工業製品で囲まれているので、割れたものなど見当たらないし、割れていれば欠陥品ということになる。そういう目から見れば、割れていて大丈夫なのか、とか、割れているものを使うなんてなんかだまされて悪いものをつかまされるのではないか、と疑ってしまうのも無理はない。が、これは「背割り」という古くからある技法で、決して欠陥品ではない。

木材を切り出すとき、樹芯を含んだ部材は、上からの荷重には強いので柱などに使われるが、乾燥していく過程で変形して割れが生じる。この欠点を補うために、意図的に芯に向かって溝状の割れを入れておく。これによって乾燥時の変形を吸収してしまう技法だ。木材の性質をよく知ったうえでその欠点を補うために、わざと木材としては欠点になる割れを作っておこうというものだ。この背割りをしたところに土壁が来るようにすれば、割れは表からは見えない。一つの面をわざと割ることで、残りの三つの面を生かそうというものだ。自然に逆らわず、一つの面の一部を犠牲にすることで、他の3つの面を生かし、永くその形を保てるようにするという、木と対話した結果の知恵だ。

 現在よく使われている合板や積層材は木材の繊維方向を直角にして接着剤でくっつけることで強度と表面の美しさを作っている。これによって木造の大スパン構造だとかができるようになったのだが、これだと材料の持つ性質にかかわらず、均一の木の材料ができるが、中の接着剤でつけられた木は、動きたくても動けない。力づくでかたちを整えられている。そこで接着剤の力から解放されると、古いベニヤがめくれあがったりするように元あった木の性質が表に出てくる。表面的にはきれいな整った形に見えても、絶えず接着剤の力と木の持つ変形する力とのせめぎあいが起こっている。内部に矛盾をかかえたまま力づくで形を整えている組織のようなものだ。そういう組織はやがて矛盾が噴き出てきて崩壊するというのが現実の社会でもよく見られる。それと同じで、内部にストレスを抱えたまま、形だけを整えたものはきっと長続きはしない。それを家の構造材として使うのはちょっと恐ろしい。ストレスを解放した形で長くいい働きをしてくれるためにも、「背割り」は必要なのだ。(2023.2.20)