コラム | 松井薫の「隠居のたわごと」vol.41

松井薫の「隠居のたわごと」vol.41

隠居のたわごと

祇園祭と町家

 京都の町はいま、祇園祭で大変な人出だ。山鉾巡行ともなれば、巡行経路の道路は通行止めとなり、道が祭り空間に変身する。その両側に軒を連ねる町家は、1階の道路側の格子を取り外して、ミセの間にご自慢の屏風や道具類、着物などを飾り、道行く人に鑑賞してもらう。あたかも道の両側に博物館が現れたような様相を呈する。この時、町家のミセの()は道路と一体となって祭り空間となる。そればかりではない。親しい人たちは招待されて家々の中に入っていく。道路からミセの()、そして家の中までも、玄関から座敷、庭、時には奥のハナレや茶室まで祭りらしいハレの空間としてしつらえられ、お客様のおもてなし空間となっている。

 こうして祭りの期間は、町家はミセの()はもちろん、家の奥に至るまで接客空間として他人の目にさらされることになる。家の人達は、当然、他人の目が入ってきても耐えられるように掃除をして夏の建具に変え、しつらえを整えることになる。町家の暮らしでは祭りの時ばかりでなく、たびたびお客さんを迎えることがある。そのたびに来ていただいた方が不愉快な思いにならないように、家の中を整える。この、家の中に接客区間があって、常にお客さんを迎え入れるというのは、今の新しい家の考え方から外されている要素だと思う。現在は冠婚葬祭はもとより、仕事上であっても、知り合いや友人と会う場合でも、それぞれ外部の専用の施設や喫茶店などを利用するので、家に他人を招き入れる、という機会がほとんどない。町家暮らしでも以前は冠婚葬祭から、仕事上の打ち合わせ、友人たちとの会合など、来訪客は頻繁にあったが、今では以前ほど多くの人が出入りするわけではない。それでも、季節に合わせた年中行事などで、やっぱり人の出入りは祭りの時以外にも結構ある。親類縁者をはじめ近隣の人たちやいろいろなご縁の人たちが、ことあるごとに町家には集ってくる。最近、ニュースになっている家族の間での痛ましい事件などは、家を家族だけの密室状態にしてしまうことから起こっているようにも思えるので、ちょくちょく他人の目にさらされる町家暮らしのほうが健全な社会生活を送れるのではないだろうか。家にはやっぱり接客空間が必要で、人を招き入れる機会がたびたびあるほうが、いろんな人とのいい距離感での付き合いができるという気がする。(2023.7.20)