コラム | 松井薫の「隠居のたわごと」vol.43
松井薫の「隠居のたわごと」vol.43
突然のめまい
朝目が覚めて、起き上がろうとしたら、突然ぐわんぐわんとめまいがした。これはあかんわ、と思ってもう一度目を閉じてじっとしていたら、しばらくしてめまいはおさまった。そうっと起き上がると、何とか起き上がれたが、動くとめまいがする。かかりつけの医者に行ってみてもらったら、一過性のものだとのこと。耳の中の平衡を感じるところの中で、石が動いているのだそうで、ゆっくり動くようにしながら様子を見ていたらそのうち治るということで、薬も治療もなし。仕方がないので、だましだましの生活をして1週間ぐらいかかって、やっとめまいは気にならなくなった。体の中で石が時々できることがあるようで、以前にも尿管結石というのをやった。これも相当痛い。油汗を流して七転八倒しているうちに、ぽろっとおしっこと一緒に石が出て、今までの痛さはどこへ行った?という感じで元に戻った。この時も経過を待つ、というか時間待ちで治った。本人は痛さをすぐに取ってほしいし、今回であれば、普通に動いてもめまいを感じないようにしてほしい、と切に願うのだが、原因がはっきりしていれば、あとは経過を待つことで、体が通常に戻るわけだ。
家の設備や性能にしても、暑い時は、すぐに涼しい空気にしてほしいし、寒くなってくれば、すぐに暖かくしてほしい。嫌な臭いはすぐにどこかへ行ってほしいし、カビや汚れもすぐになくなってほしい。そしてそういう要求に答える設備やスプレーがよく売れる。暑い、寒いにしても、急な温度変化があった当初は、暑さや寒さも感じるのだが、それが続いていると、体が慣れてきてそこまで暑い寒いを感じなくなる。時間の経過とともに、体のほうがいろいろと調節してそれに対応しようとしてくれるのだが、それが待てない。江戸時代に書かれた「養生訓」にも「保養はおこたりなくつとめて、いゆる事は、いそがず、その自然にまかすべし」(具合の悪い状態の経過をよく観察して、治って元に戻ることを急がずに、体の回復力を信じて待ちましょう)とあるように、急いで結果を求めるのは江戸時代の人も同じだったようだ。でもそれが、現代は急ぎすぎてないか。急ぐあまり体全体の反応をよく見ないで、暑いから冷やせ、寒いからすぐ温めろ、くさいにおいは消え失せろ、汚れたものはすぐにピカピカになれ、としているので、それぞれに対応しするための副作用が出てきて、またそれを打ち消すためにすぐに効くものを使ってしまう。そうして日常がごてごてしたものになっているのではないか。写真の欄間は紙1枚で外だが、これで普通に過ごしてきたし、毎日機嫌よく日常を送っている。すっきりしたものだ。(2023.10.20)