コラム | 松井薫の「隠居のたわごと」vol.17

松井薫の「隠居のたわごと」vol.17

隠居のたわごと

蔵付き酵母

 日本酒が好きです。それも、現代風のステンレスの樽で仕込んで、油圧で絞って、酵母も協会酵母の9号とかを使って(もちろん、これも好きです)、というよりは、木の樽で仕込んで、木槽(きぶね)天秤しぼりで、という古風な作り方で、酵母も代々続く酒蔵に住み着いている「蔵付き酵母」で作られた日本酒の、深い味わいに魅せられています。日本酒の味はその土地の水や、酒米、作り方などにも左右されて様々な味わいがありますが、酵母の違いも味わいに大きく影響します。目に見えない小さな生き物が、発酵を促し、発酵の邪魔をする雑菌を排除して、おいしい酒造りに貢献しているのですが、昔の人は、目には見えない酵母のこの働きを経験上知っていたということでしょう。

 町家にも、自分の生まれたときよりも以前からある建物の、梁や土壁やいろいろなところに、目に見えない生き物が生き続けていて、その家の歴史を証明しています。町家よりももっと古い、文化財建物を修復するとき、古色を出すのにその建物に長い間に積もった「ほこり」を色に混ぜ合わせることによって、千年前の色を、数週間で復元できるという話を聞いたこともあります。まさに「ほこり」の中に生き続けている目に見えない生物たちが、その建物の長い時間を経過した歴史を再現してくれているからだろうと思っています。環境由来のこういった微生物が、まるでそこに住む人を病原体から守ったり、生まれて成長して、成熟していく人間を見守っているようです。普通の住まいでも土壁のある家に住むと病気になりにくいといわれることがあります。それは土壁に含まれる微生物が、蔵付き酵母が不要な雑菌を排除するのと同じように、人間にとって良くない作用をする微生物を排除していたり、人間の免疫力を強めたりしているのかもしれません。町家の梁の上や柱、土壁の中、屋根裏などにそういった「家付き微生物」が住み着いているおかげで、そこ住んでいる人が有害な微生物から守られ、人として熟成されて、味わいのある人間になるのでしょうか。

(2021.6.19)